勝手に《ブックガイド》
2009年12月20日 勝手に《ブックガイド》 第1回
『ライシャワーの昭和史』
(ジョージ・R・パッカード・著、 森山 尚美・翻訳/講談社)
この本は、やはりすごい。そして、面白い。すでに、「週刊文春」でジャーナリスト大野和基氏が紹介しているが、著者のジョージ・R・パッカード氏の見識の高さと、時代を見る目の的確さには感服する。それをきちんと日本語に訳した翻訳家の森山尚美さんの仕事にも感心した。
本の発売を記念して、11月に日本外国特派員記者クラブでパーティがあったが、その席には中曽根元首相も顔を見せ、戦後の日米関係に欠かせない重要な人々が集まった。
エドウィン・O・ライシャワー氏は、中年以上の日本人なら誰でも知っている1960年代の駐日大使であり、生涯にわたって日本の理解者だったから、いまも私の年代の日本人は必ず「さん」をつけて「ライシャワーさん」と呼ぶ。
そのライシャワーさんがどんな人物であり、どのように日本とアメリカの相互理解のために尽力したか、また、晩年にリビジョニストによって歪められた評価をどう受け止めていたかなど、興味深く読んだ。
私は1991年にライシャワーさんが亡くなった後、未亡人となったハルさんが書かれた自叙伝『絹と武士』に、ハルさんからサインをいただき、その本をいまも大切に持っている。ライシャワーさんは、晩年、サンジエゴの丘の上の住宅地ラホヤで、太平洋を見ながら暮らしていた。
そして、遺骨は本人の意思で「アメリカと日本の架け橋」であった人生を偲ぶために、太平洋に撒かれた。本書には、そのことも書かれている。ハルさんはライシャワーさんが亡くなってからずっとラホヤで暮らしていたが、1998年に亡くなられている。
ハーバード大学には、いまもライシャワーさんのアジア研究を記念してライシャワー日本研究所(The Edwin O.Reischauer Institute of Japanese Studies)が設けられているが、これをバックサポートしているのは、講談社である。
講談社は、今年もハーバードで日本研究の優秀な論文を書いた学生2人に、アワードを贈っている。そして、この本は、アメリカ版が出るのに先駆けて、講談社から出版された。
本書は、ライシャワーさんの補佐官を務め、ジャーナリストであり学者の著者が、新たな証言や公資料で綴ったライシャワー伝だが、私は歴史的な興味より、人物的な興味が大きく、この本でライシャワーさんが、ゲームが大好きだったことを初めて知った。
ボードゲームが大好きで、モノポリー、クルー、トランプ、なんでもやり、子供たちとやれば常に勝っていたという。二男のボビーは父親を「無敵のトランプ名人、サイコロの名人、運命のあやつり人のように見えた」と高校時代の作文に書いている。
こういうくだりを、本当に楽しく読んだ。じつは私もゲームが大好きな父親で、娘とやっても手を抜かなかった。それで、あるとき妻からたしなめられ、それからは娘とやるときはたまには負けるようにした。
パッカード氏は、本書の序文で、ライシャワー伝を書いた理由を次のように書かれている。
「死後、約20年を経たいま、その貢献と歴史上の役割を評価することは以前よりもたやすくなった。平和を愛する民主主義国家としての日本の発展と、死活的に重要なパートナーとしてアメリカが日本に寄せる信頼は――彼自身は見届けることはできなかったが――彼がいだいていた信念を正当化してあまりある。ライシャワーが日本を正しく理解していたこと、その洞察がいまもかけがえのないものであることは歴史が証明している」〈抜粋〉
そして、さらにこう結んでいる。
「ライシャワーは恩師であり友人であったから、私はこの本を全面的に客観的に書けたとは言い切れない。しかし、学者、そしてジャーナリストになるために専門的訓練を受けた人間として、また、日本と日本人についての一個の研究者として、正直に書かざるをえなかった。ほめたたえるばかりの聖人伝にしたならライシャワーは嫌悪するだろうから、その弊に陥らないように心がけた」
翻訳者の森山尚美さんは、これまでも「昭和天皇と戦争 - 皇室の伝統と戦時下の政治・軍事戦略」(Peter Wetzler、ピーター ウエッツラー、単行本、原書房 、2002/11)などの名訳で知られるが、今回は本当にいい仕事をされたと思う。
その森山さんから、「訳者あとがき」は引用してかまいませんという許可をもらったので、そのなかから、少し抜粋してみたい。
「奇しくも、平成二十一年九月、日本では戦後初めて二大政党制への移行する兆しがみえはじめ、日米関係は大きな転換期に突入した。来年は、ライシャワーの生誕百周年をむかえる。まさに歴史的な時機に生まれたこの本が、どのような船出をするか、ひじょうに気になるところである」
「団塊の世代である私にとって、ライシャワーは、知らぬまに記憶にこすりつけられていた馴染み深い著名人だった。私の周囲には、バイブル・クラスで初めて英語にふれ、ミッションスクールに通い、アメリカの文化戦略の一環ともいえる交換計画で渡米した仲間が多くいる。パッカードが自身の昭和史と重ねて紡ぎだしたライシャワーの昭和史を、ひもとき、訳すことは、私自身の昭和史の文脈を学ぶことでもあった」
森山さんが書かれているように、私もまたこの本を、自身の昭和史に照らし合わせて読んだ。そうして、当時は漫然と考えていたことが、パッカード氏の記述によって、そうだったのかと思いいたることがいくつもあった。
一昨年、サンジエゴに行き、海岸通りを歩いた。サンジエゴはアメリカ海軍屈指の軍港だが、気候風土に恵まれた美しい街だ。なにより海が美しい。そして、その青い海のはるか向こうに、私たちの国・日本はある。
(by 近海魚)
本書の内容(章立て)
第1章 日本に生まれて「ボーン・イン・ジャパン」
第2章 日本は「月の裏側」だった
第3章 円仁の足跡を訪ねて
第4章 戦争に向き合った学者
第5章 「ラージ・アイデア」の時代
第6章 トラジディを乗り越えて あらたな船出
第7章 白羽の矢が立つ「そこまで言うなら、やってみろ」
第8章 光り輝いたひととき
第9章 空が暗くなる
第10章 ハード・ランディング
第11章 河口に近づく
著者、ジョージ・R・パッカード3世(George R. Packard 3rd)
1932年生まれ。タフツ大学フレッチャー外交大学院で博士号取得。1963〜65年、ライシャワー駐日大使の特別補佐官を務め、その後、10年間のジャーナリスト活動をへて、ウッドロー・ウィルソン国際学術センター副センター長、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)学院長などを歴任。現在は日米関係事業に助成を行なう米日財団の理事長を務める。2007年、日米友好親善への貢献により、旭日重光章を受賞。
【経歴】
1963年 駐日アメリカ大使特別補佐官(-1965年)
1965年 『ニューズウィーク』ワシントン特派員(-1967年)
1967年 『フィラデルフィア・ブレティン』特派員(-1969年)
1969年 『フィラデルフィア・イブニング・アンド・サンデー・ブレティン』
編集長(-1975年)
1976年 ウッドロー・ウィルソン国際学術センター副センター長(-1979年)
1979年 ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)学院長
(-1993年)
1984年 ジョンズ・ホプキンス大学SAIS付属エドウィン・ライシャワー東アジア
研究センター長(-1998年)
1994年 国際大学学長(-1998年)
1998年 米日財団理事長(現職)

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